bag

誂え品

象徴的な時間を誂える

前田育男
カーデザイナー、マツダ常務執行役員デザイン・ブランドスタイル担当 | 1982年、京都工芸繊維大学工芸学部意匠工芸学科卒業、東洋工業(現マツダ)入社。チーフデザイナーを歴任し2009年4月、デザイン本部長就任。マツダブランドの全体を貫くデザインコンセプト「魂動」を立ち上げ、車だけでなく、販売店の一新やモーターショー会場の監修などを行う。2016年から現職。趣味はモータースポーツで、国際C級ライセンスを保有。著書:『デザインが日本を変える 〜日本人の美意識を取り戻す〜』(光文社新書)、『相克のイデア』(日経BP) 「平成31年度知的財産権制度関係功労賞」受賞

「カーデザイナーとして車の仕事に携わり、趣味は自動車レース。常に、緊張感ある時間を過ごす日々。ふと、ゆっくりしたいなと思う瞬間がある。」

仕事も趣味もずっと車に囲まれる前田育男氏にとって、唯一、くつろぎを覚えるのがワインを飲む時間だ。ワインを誂えのテーマに据えたとき、イタリアの友へ自分で選んだ特別なワインを届けるというストーリーが頭に浮かんだという。

仕事柄、イタリアに頻繁に足を運び、友人らとの意見交換によって新たな刺激を受ける機会が多い。郊外へドライブがてら地元のワイナリーへ出掛け、夜はイタリアワインを飲みながら現地の話題を語らう。そんな夜に、どうやったら日本の話を持って行けるだろうか。

自身が刺激を受けるように、日本の「何か」で彼らの見聞を広げるきっかけになるようなものを。

「どうだ、日本もすごいだろう」と、友人らに自慢する前田氏の姿を想像し、誂えを託す職人を選んでいった。

「概念」に固執しないものづくり

指物の技術で芳醇な赤ワインを守り、持ち運ぶ入れ物を製作することにした。持ち運ぶことを考えると鞄やトランクを即座に想起したが、革加工の本場イタリアに劣らない、京都固有の技術とは何かと考えた末、様々な道具をしまう「木箱」がふさわしいように思えた。

茶碗、酒器、花器、掛け軸、へその緒に至るまで、大切なものはみな、桐の木箱に入っている。これは、桐が木材の中でも軽くて柔らかく、また調湿効果が高いことに理由があるそうだ。古い時代につくられた桐箱は、白飯を練って糊をつくり、その糊と卯木(ウツギ)の木を細く断ち割った木釘によって箱の形状が保たれる。このため木が湿気や乾燥の影響で狂った際には、一晩水につけて糊と木釘を外し、パーツを解体してから再構築することが可能だ。ものを無駄にしない、自然から採取できる材料を用いる工芸のものづくりだ。

京指物の特徴は、茶道指物に代表される、「際」を繊細に仕上げることで華奢に、軽やかに見せるところにある。これに反して、赤ワインは豊潤で重厚なイメージを持つ。

前田氏は、中に収納するものを想起させるような重厚な入れ物を要望し、重みを感じさせるカタチにこだわった。見た目より軽く、薄く仕上げることに技術を注ぐ指物師・兵働知也氏にとってはこれまで注文を受けたことのない要望であった。

取っ手、引手は金谷五良三郎(金属工芸)がアルミの削り出しにて製作。鏡面仕上げによって金属の重厚感を引き立てる。

シンプルなカタチの難しさ

前田氏がこだわった重厚感。これの実現が、兵働氏にとって新たなチャレンジとなった。初期試作を見た前田氏は、厚みの表現の仕方、曲面の取り方が神社の屋根の反りに近しい印象を得たという。窪みの深いカーブから、際に向かってすっと抜けていくようなカタチの作り方で、シャープで均整がとれていて美しいのだが、重厚感が出し難いことに気が付いた。

「厚みの出し方一つとっても、京文化の中で培われてきたセオリーがあるとものを見て感じました」

中に入っている貴重なものを守る、という視点でいうと、シャープな形状は非常に装飾的に見えてしまう。兵働氏が、過去に製作した桑の木の、ある種、石の塊のような見た目の茶箱を前に議論を重ねた。中身を守る強さをシンプルな箱に表現するには、扉の断面の取り方が決め手になることを発見した。木の柔らかさではなく強固な印象を引き立てるために材種や木目の取り方にもこだわりを尽くした。

あとはお任せします

前田氏は、誂え品の製作プロセスで、終始、具体的な仕様を言わないようにしていたという。デザイナーなので、思わず絵をかいてコミュニケーションを取りたいと思う瞬間もあったようだが、そうしてしまうと自分の具体的な要望が基準になってしまい、ものづくりのスピードは速いだろうが、それ以上のものは絶対にできないと分かっていたためだ。理想は、「イタリアに持って行く、大事なものを運ぶ箱をつくってください」と伝えるだけ。あとは任せるので、皆さんで上手くアレンジしてくださいとし、完成時の驚きを待ちたい心境だっという。

しかし、こだわりを捨てず、重厚感を軸に要望を突き通してくださった。その結果、指物師はこれまで求められることのなかった重厚な木鞄を手掛け、金物師は、駄肉のないシンプルな金属の強さを感じるアクアントを完成させた。

個々人のニーズやセンスに100%合わせていくお誂えを「殿様気分」と表現してくださった。これだけわがままの言える環境は、日常には全くない。やり取りを重ねる中で、これまで自分でも気が付いていなかったこだわりを発見したことも楽しく、刺激になったという。