誂え品
自分の内なる「和」を
今こそ開花させたい。

祐真朋樹
ファッションエディター | 1965年1月25日、京都市生まれ。
(株)マガジンハウス『POPEYE』編集部でエディターとしてのキャリアをスタート。現在は『Casa BRUTUS』、『UOMO』、『ENGINE』などのファッションページのディレクションのほか、アーティストやミュージシャンの広告・ステージの衣装スタイリングなどを手掛けている。パリとミラノのコレクション取材歴はかれこれ30年に及ぶ。
「現代の日本には、衣食住全般に渡って“洋”が溢れている。実際、僕の住まいにも畳の部屋はない。でも唯一、‘食’に関しては、ごく日常的に和食が登場している。特に朝食については、和食を好んで摂っています。」
祐真朋樹氏が今回誂えることにしたのは、漆器による食卓セット。
彼にとって「食」は、日本に生まれ育った者としての感性と向き合う時間であり、手で触れ、口に運ぶ器もまた、その感性を取り戻すための大切な道具なのだと知った。彼が今使っている漆器の飯椀・汁椀は、家族が選んだものとのこと。今回は、何気なく使ってきた器に改めて向き合い、自分のこだわりを突き詰めたものをつくりたいと思った。

四ツ椀のミニマムな見え方に心惹かれた
かっこいい、があらゆるものごとの源泉になる。
料理研究家の土井善晴氏の「一汁一菜でよいという提案」(グラフィック社、2016年)に感銘を受けた祐真氏は、当初、飯椀・汁椀と小皿を誂える予定だった。
茶道具や京都屈指の料亭の漆器を多く手掛ける上塗師・西村圭功氏と、相談するうちに、「四ツ椀」という茶懐石で使う器の存在を知った。一回りずつ大きさの異なる四つの椀は、入れ子で収納することができる。飯椀、汁椀として使う場合は残りの二つを蓋にする。
一つにまとまるというミニマムな佇まいに、「スタイリスト魂をくすぐられた」と後日教えていただいた。祐真氏の本質的なかっこよさを求める思いに呼応した、西村氏が仕掛けた「提案」だ。

職人は日本の宝。
自分はどう関わることができるのか。
「せっかく誰にもできない技があるのだから、何とか次に継承していきたい。」
京都は、祐真氏が生まれ育った故郷だ。時代と共に変わったとは言え、社寺仏閣や古い街並みが多く残されている。そして、ここに生活し活動する職人がいる。どんな人たちが文化を守っているのか、文化を下支えする伝統工芸の職人はどんな思いで従事しているのか。現在の職人を知りたいと語ってくれた。
ファッション業界では、既製品だけでも十分すぎるほど選択肢がある現代だが、未だにパリではオートクチュールが毎年発表され続けている。一般的に考えれば、あれほど高いものを誰が買うのかと疑問を持ってしまうが、オートクチュールの世界にはフランスが培ってきた技術を根絶やしにしたくないという強い意志を持ったメゾンがあり、職人たちがいる。そしてもう一方には、フランスのその文化を誇りに思い、使命感に燃えて買い支える顧客たちがいる。
自分も、日本の文化を途絶えさせないために、できることは積極的に取り組んでいきたい。そんな思いで祐真氏はこのプロジェクトに参画した。
「とても素晴らしいものができて感謝している。早く使ってみたい。 白漆の御膳はあまりないもの。あまりないということは、ないだけの理由があるんだろうという一抹の不安はある。しかし、ビジュアル的な理想を優先して形にできたことはとても嬉しく思う。」
祐真氏の言葉から、自分の理想を突き詰め、時にあまり世にない仕様でものを誂えるには、不確実性も含めて受け入れる寛大さも必要と考えるところがあった。使い手も作り手も、生み出したものと長く付き合っていく覚悟が求められる。だからこそ、ひとつずつ共に創り上げる楽しさが誂えにはある。


また飯椀・汁椀の蓋は、煮物や香の物を装う器にもなる。