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車の歴史を紐解き、面々と息づくクラフトマンシップをレポート 文:モーターライター・西川淳
文:西川淳 写真:Jun e Co.
西川淳
モータージャーナリスト
1965年 奈良県生まれ。京都大学工学部卒業。(株)リクルート・カーセンサー副編集長を経て、99年に独立し編集プロダクションを設立。フリーランスとして雑誌、新聞、ネットメディアに多数寄稿する。専門はラグジュアリィカー、ヴィンテージカー、スーパースポーツ。2018-2019 日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本自動車ジャーナリスト協会会員。自動車の歴史と文化を語りつつ、産業と文明を批評する。京都在住。
職人ワザ、などと聞くと、とかくアーティスティックな仕事を思い浮かべがちだ。けれども真のアルチザンにとってみれば、自らの仕事を芸術=アートだなどと表現して欲しくないはず。すべては顧客のために。相手がどこの誰であれ、望まれたモノを実現するべく、経験と知識と創意と工夫のすべてを注ぎ込んでオーダーに取り組み、百パーセント以上の満足を提供する。それが職人の仕事というものだろう。もちろん、そうしてできあがった成果物の、あまりにも素晴らしい仕上がりぶりに、当事者以外がある種のアート性を見出してしまうのも仕方のないことだったりする。今回は人とクルマの関係において最も実用性が重視されるインテリアで、その時代時代における様々な要求に職人たちが応じ、仕上げ、機能を提供した結果、現代に生きる我々には芸術的に見えるコクピットを取り上げてみたい。取材地として選んだのは、有名ゴルフコースの18番ホールで毎年夏に開催されている世界でも屈指の自動車ビューティコンテスト、ペブルビーチ・コンクール・デレガンスだ。
そもそも自動車のインテリアは、何をベースに発展したのだろうか。座席を含むキャビンスペースが馬車からの発展であることは容易に想像できるだろう。それでは、現代においてステアリングホイールや計器類(インストゥルメント)によって成立しているコクピットまわりはどうか。メーターやスイッチ、モニターなどが並ぶ場所をダッシュボードと呼ぶ。これはそもそも馬車において、馬が蹴り上げる泥や小石から御者や乗員を守るためのもので、馬がエンジンに変わった当初もその役割は変わらなかった。次第に自動車の構造が複雑になっていくと、特にエンジンの性能向上に比例して、機械の状況をモニタリングするための計器の類が必要になってきた。そこで、このダッシュボードに様々なメーターが配置されるようになったという。今日も採用されているダッシュボードパターンのほとんど全てが、自動車の黎明期に採用された、ウッドパネルやレザーパネル、装飾入り金属パネル、ボディパネル一体パネルなどの進化形でしかない。計器類こそアナログからデジタルへと変化し、モニターやエアコンが追加されるなど様変わりをしたけれども、ダッシュボードそのものの構成と機能は変わりようがなかったのである。ステアリングホイールもそうだ。現代ではなかなか大径でグリップの細いハンドルに出会うことはなくなったし、エアバッグやパドルシフトなど新たな機能も加わったが、基本的なカタチと役割に変わりはない(構造は変わりつつあって、メカニカルに繋がらない時代もやってきた)。
そう、機能として変わらないものだからこそ、われわれは昔のダッシュボードにアートを感じる。当時のアルチザンたちが顧客の要望に応じてデザインし、配置し、素材を選び抜いた機能パートだったとしても、半世紀、一世紀と経った結果、立派な芸術品へと昇華したように見える。変わらないコトがあるから機能を理解できるし、だからこそ現代ではありえないデザインに惹かれてしまうというわけなのだろう。ヴィンテージカーが“走る芸術品”と呼ばれる所以のひとつである。当初はいくつかのメーターやスイッチだけで構成されていたダッシュボードも、自動車のメカニズムが複雑になり、快適便利装備が増えるにともなって、次第に煩雑になっていく。ダッシュボードのみならず、ハンドルやルーフライナーにまで操作系の配置がおよび、センターコンソールも追加された。
もう少し未来には、さらなる革新が待ち受けている。面白いことに、いわゆるCASE(コネクテッド、アウトノマス、シェアリング、エレクトロニック)が進むにつれて、ダッシュボードは先祖帰りを果たす。ふたたびモニターのみの“板”(ボード)となり、さらにはハンドルさえも無くなっていく。そこに最早、芸術性を見つけることなど難しいことだろう。少なくとも現代に生きる我々の審美感には、響かない。むしろ、そのボードをキャンバスに何を描くか。未来の職人仕事はそこにあるのかも知れない。