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現代の生活にも取り入れたい、平安時代の上質なライフスタイル。史実を基にお伝えします。 文:平安朝文学研究者・山本淳子
文:山本淳子 イラスト:黒岩多貴子
山本淳子
平安朝文学研究者 京都学園大学人間文化学部教授
1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。京都大学文学部卒業。石川県立金沢辰巳丘高校教諭などを経て、99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号取得(人間・環境学)。現在、京都学園大学人間文化学部歴史民俗・日本語日本文化学科教授。2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。
平安貴族にとって乗り物と言えば、牛車である。馬は庶民でも乗るが、牛車は貴族ではないと持つことが許されない。それも、身分によって乗れる車種が決まっている。だから、牛車で出かけることはそのまま、セレブやその関係者であることを意味した。スピードは、人の歩く速度か、せいぜい小走り程度。牛を操る牛飼童が、牛や車体に乗るのではなく横を歩いてゆく仕組みになっていたからだ。四人乗りで、今の乗用車と同様に上座と下座があり、今とは逆に前の座席のほうが上座とされたという。京楽真帆子『牛車で行こう!』(吉川弘文館)が、豆知識満載で面白い。
さて、その牛車を、カスタマイズしようと思いついた人物がいる。『枕草子』の作者・清少納言だ。彼女は皇后の侍女なので、役所に牛車を用意させ、梅雨時の早朝、ホトトギスの声を聞くために同僚たちと出かけた。季節ならではのこの鳥の声を聞くことは、都人の風物詩だったのだ。行く先は賀茂の奥にある知人の別荘で、果たしてホトトギスはかまびすしく鳴き合い、清少納言たちは風流を満喫する。カスタマイズは、この帰途に牛車に乗ろうとして思いついたことだ。やはり季節ならではの卯の花が、辺りには見事に咲き誇っていた。それを折って、牛車の屋根にも簾にも挿せるだけ挿した。結果、牛車はまるで、卯の花の垣根を牛が牽いて行くかと見えるまでに。花を付けた牛車と言えば、現代でも京都の三大祭りの一つ、葵祭で見ることができる。行列の主役の一つである勅使の牛車で、屋根から藤の花房を垂らした華麗なものだ。だが清少納言の牛車は屋根どころか車体中が花。当然、この趣向は大うけにうけた。その度を越した弾けっぷりが良いと、笑いながら褒められたのだという。清少納言自身のご満悦は言うまでもない。
牛車と言えば、清少納言は走らせ方にもこだわりを抱いていて、『枕草子』には車格によって似合う速度が違うと記している。皇族や閣僚級貴族である公卿(くぎょう)用の「檳榔毛(びろうげ)」は、ゆっくり走らせるのが良く、急がせると見劣りがするという。確かに、最高級車はゆとりをもったスピードで走っていてこそ、細部に至るまでの輝きもちゃんと見て取れる。鑑賞に堪える車には、鑑賞できる速度で走ってほしいのだ。もちろんそこには、乗る人の心のゆとりや品格も感じ取れるというものである。一方でカジュアルな「網代車」は、軽快に走らせるのがよいという。牛車の気配がすっと通り過ぎたので、ふと目を挙げると、もう車はおらず、ただ走ってついてゆくお供の姿だけ。あれ、どなたの牛車だったのだろう。見るものにそんな気持ちをかきたてる、アクティブさが似合うというのだ。なるほど千年前から、車は乗って楽しむだけのものではない。見て楽しまれもするものだった。清少納言が自分の牛車に工夫を凝らし、見る人を喜ばせたのも、そんなライフスタイルによっている。季節を楽しむ。車を楽しむ。そして、自分らしさを楽しむ。王朝人はそのように暮らしを彩った。日常の中で、別格の贅沢「きわこと」を堪能したのだ。