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古都のライフスタイル

現代の生活にも取り入れたい、平安時代の上質なライフスタイル。史実を基にお伝えします。 文:平安朝文学研究者・山本淳子

平安のことば『源氏物語』は「もののあはれ」、『枕草子』は「いとをかし」

文:山本淳子 イラスト:黒岩多貴子

山本淳子
平安朝文学研究者 京都学園大学人間文化学部教授
1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。京都大学文学部卒業。石川県立金沢辰巳丘高校教諭などを経て、99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号取得(人間・環境学)。現在、京都学園大学人間文化学部歴史民俗・日本語日本文化学科教授。2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。

カフェでの読書

平安時代を代表する言葉、「あはれ」と「をかし」。世にしばしば、『源氏物語』は「もののあはれ」で『枕草子』は「いとをかし」だという、あれである。この二つは、現代人でも嗜みとして知っているのが当然の、基本語と言ってよい。とはいえ、高校時代の教科書ではどちらも「風情がある」と訳されていただろう。高校生にとっては「風情」など最も遠い世界のことで、美しいが退屈なことばに思えたかもしれない。
  

だが、その「あはれ」と「をかし」が一瞬で、しかも二つ共に明快にわかる方法がある。それは、「あはれ」は「あ」で、「をかし」は「お」だということだ。
  

「あはれ」は、もともと感動詞出身の言葉である。何かを見聞きした時に、「ああ」とか「ああっ」とか、つい声を発してしまうことがあるだろう。それが「あはれ」だ。例えば、沈みゆく真っ赤な太陽を見た時。或いは逆に、富士山頂でご来光を拝む時。私たちは自然に、我を忘れてそれを見ている。その時、声を発する筋肉は緩み、丸く空いた口からはため息のような息が発せられるのみだ。その音が、「あ」であり「は」であり「れ」なのである。
  

「あはれ」は現代、「可哀そう」を意味する言葉である。この意味も、古くからあった。気の毒な出来事や人を目の当たりにして、他人ごとではなく心から同情の思いに駆られ、「ああ」と声を漏らすしかない。それが「可哀そう」の「あはれ」である。だから、本来「あはれ」は訳の仕様がない。「ああ」とか「しみじみ」とかで、言葉にならない、それが「あはれ」なのだ。これを知った今、あなたはもう平安びとと心を同じくしている。
  

では、「をかし」はどうか?笑える「おかしい!」も、首をひねる「おかしい…」も、現代語として生きている。少し引いて「おっ」と批評するのがこれらだ。これが「おお」となると、風流の意味の「をかし」になる。『枕草子』は、「春はあけぼの」で知られる初段にこれを使った。四季の中の「夏は、夜」のくだりである。「蛍の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りてゆくも、をかし」。群舞する蛍は見る者の心を奪う。だが一つ二つの光がかすかに点滅しながらゆくのは、また別の味わいがある。続けて『枕草子』は「雨など降るも、をかし」と言っていて、これなどまさに「乙なもの」の訳がぴったりだ。「いとをかし」と言う時、言う側は余裕をもって批評しており、「上から目線」なのだ。    
  

『源氏物語』が「もののあはれ」で『枕草子』が「いとをかし」だということも、これで説明できる。『源氏物語』は人の世の愛憎や哀歓を描き、登場人物たちは「ああ」と嘆声や吐息を漏らし続ける。読者が発するのも「ああ」という感動の声だ。しかし『枕草子』は、ユーモアやウイットに富んでいる。「おや、なかなかいいね」「おっ、これもいいね」。私たちはそんな声を発しながら、この個性的で新鮮なエッセイを読むことになる。  

「あはれ」は「あ」で、「をかし」は「お」。思えば、現代を生きる私たちの発声器官、つまり体が、平安の言葉を覚えているということかもしれない。  

  

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