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パートナー対談

作り手の思い・考え方こそ未来へ残したい!Kiwakotoメンバーと開発パートナーとの対談です。

  

フワフワなシルク

瀧谷芳則(瀧芳株式会社)×梶原加奈子(テキスタイルデザイナー)×吉村優(Kiwakotoディレクター)

起毛とは、生地の表面を専用の道具で毛羽立たせる技術。日本では、半世紀前から寝具業界で毛布をつくる技法として確立しました。起毛専業の加工屋として後発スタートした瀧芳さん。大阪・泉大津エリアは、大手布団メーカーのOEM産地として発展し、当時は、地域で工程を分業していました。しかし後発だった瀧芳さんは、産地の常識に縛られず、「いいものをつくる」ために、自社でできる範囲を少しずつ広げていき、とうとう自社製品を開発するに至ります。看板製品となったシルク100%のブランケット。製品そのものが営業マンとなり、世界のメゾンからも注目、服地に採用された実績もあります。職人の強い意思とこだわりによって生み出される製品の魅力をお聞きします。

瀧谷芳則氏(瀧芳株式会社)と梶原加奈子氏(テキスタイルデザイナー)の対談風景

吉村:
はじめに、起毛という技術について教えてください。

梶原:
生地の表面の繊維の毛羽を出す処理のことを起毛と呼びます。あざみや針布を巻いたローラーを回転させて、その上に布を走らせて生地の表面の糸から繊維を引っかきだします。生地の厚みを増すと共に保温力を増加させ、柔軟な肌触りが得られる加工技術です。
非常に古くから行われていた加工で、ポンペイ遺跡の壁画の中にもハンドガード状のもので織物の表面を引っかいている光景が見られるそうです。その後、1684年に欧州で植物の「あざみ」を利用した起毛機が最初に作られました。延べられた織物に一方向にあざみで引っ掻いて毛羽をかきだし、その後に再び反対の方向に引っかいて毛羽を起こしていました。1855年にパリの万国博覧会では針布ロールを取り付けた起毛機が出品され、1872年に英国ではあざみ起毛機に代わる5本ロールの針金起毛機が開発されています。1894年に大阪の織物会社に英国製の起毛機が設置され、その後、和歌山から国産の起毛機の生産が始まり発展しました。

吉村:
泉大津は寝具の産地として発展したそうですが、その産地での瀧芳さんのポジションはどのようなものだったのでしょうか。

瀧芳:
毛布業界としては、後発でスタートしました。そのため、いろいろ自分たちの思うようにやって、自社で販売したり、顧客に提案したり試行錯誤しました。自社商品についても、当初、小売をしよう決めてスタートしたわけではなく、染めた糸を織っていたところを、染めもパートナーさんでできるね、仕上げもこことやろうと、どんどん地域のほかの加工先さんを巻き込んでどんどんできる範囲を広げていきました。

梶原加奈子氏(テキスタイルデザイナー)

梶原:
瀧芳さんの起毛は、とても肉厚でしなやかなでフワフワの感触です。今日、改めて生産の流れを見させていただき、何度も起毛とシャーリングと洗い工程を繰り返し表情の出方を微調整している事を知りました。また、お話を伺い、生機のクオリティが非常に影響する事を知りました。糸の原料、撚糸から織組織までも熟考されており、この研究、知識の積み重ねに瀧芳さんのスペシャルな風合いの強みがあると思いました。

いいものをつくりたい思いを貫き通す

瀧芳:
もともとは他社と同じように、生地を預かって起毛の加工をして、次の工程に渡すという仕事が大半でした。あるとき、預かった生地を起毛をしたところ、ぜんぜんよく起毛ができなくて。生地が悪いと起毛もうまくいかない、なんで生地が悪いのか…原料をケチっているからだ、ということがだんだんにわかってきました。親父である社長は、職人上がりの人です。なので、いいものをつくりたいという意思が強く、徐々に生地を自分たちでつくるようになり、材料の選定も自分たちでやるようになりました。たまたま、シルク糸専門の商社である京都の、松村さんとご縁があって、自分たちで糸の手配・生地づくりからやってみることにしました。そしたら、他社さんが持ち込んだ生地に起毛したものより、ずっといいものができてしまったのです。

吉村:
シルク100%になったのもこだわりの結果なんですね。

瀧芳:
他社も、うちの真似をして、シルク起毛を出したところもありました。でもシルクという表面的なことは真似できても、根本的には他社が追随できなかったようです。

梶原:
シルクの原料は高価であり、開発していくには覚悟もいると思います。仕入先も限られており、現在は誰でもがいい原料を仕入れられる市場ではないですよね。

瀧芳:
「安い原料でやれば、もっと安いものができたくさん売れるよ」と言ってきたところもありますが、そんな安い原料でつくっても面白くない。買ってもらったとして誰かにプレゼントしてうれしいか?と、初代社長はやろうとしませんでした。営業畑ではなく、作る側の人なので、ただシルクというだけで安い素材をつかって作ることは、全く眼中にありませんでした。

瀧芳株式会社の作業風景

吉村:
圧倒的に良いものというのは、値段を意識させないんですね。

一枚一枚の製品が営業マン

瀧芳:
むしろ、よそさんで、「瀧芳のはいいのにお前のところのはなぜあかんのか」と問屋さんから言われた、なんて話もききました。一定以下の原料には全く手をつけなかったことも幸いし、『瀧芳のブランケットは品質がいい』というイメージができあがり、一枚一枚の製品が営業マンとなり評判になっていきました。そのうち、シルク自体が高くなり、他社は手を引きだし、うちが残りました。

梶原:
私が瀧芳さんの生地に出会ったのも、大阪の商社さんから是非一度見ておいたほうがいいよ、とご紹介を受けてです。当時から評判になっていました。高密度なのに、軽く感じる。当時は服地としてみていたので、この軽さはとても魅力的に感じました。見た目とギャップを感じる軽さも、近年の商品開発の中では重きをおかれていますから。

瀧谷芳則氏(瀧芳株式会社)

瀧芳:
そうですね、自社製品を始めたころはもっと分厚かったですが、今の時代、年配の人が多くなって重いものは嫌がられます。マンションでは、昔に比べて、家の中は冬でも比較的暖かいといったところから、私たちが手がけるものも薄くなっていきました。生地を薄く軽くしようと思ったら、悪い素材はますます使えません。重複した工程に耐えられる繊維の長い原料をちゃんと選定する必要があります。いい原料があって、薄く仕上がるような生地の組織の設計、起毛しやすい組織、起毛が一番しやすい生地の硬さ、ほどよい水分を含んでいるか、いないかの状態で乾かすプロセス、と全て微妙な調整を重ねて、ベストな状態の起毛ができます。全てにおいて、手は抜けませんね。

梶原:
今の時代でこそ、下請けメーカーさんが自社製品をつくり市場投下するというのが当たり前になったが、その先駆けとして独力で継続して実行してきたことが、すごいところです。
技術革新と追求を怠らず、市場のフィードバックも柔軟に受けながらよりレベルアップされていきますね。

吉村:
さわり心地、軽さももちろんのこと、上質感を味わえます。工房の機械自体は、最新のものではなくむしろ年季が入ったものが多いのがとても印象的で、熟練の職人たちが、全ての工程において微妙な調整をし、最後の起毛機に生地を掛ける最高の状態を作り出しているのが日本の職人技だと実感しました。

  
次回は、山梨・富士吉田でつくられる天然素材の極細糸のテキスタイル誕生のストーリーです。

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