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コトを成すために、和(ワ)をもってキワコトを生み出す。きわこと(際殊)は、古語で『格別であるさま』という意味を持ちます。Kiwakotoは、代々受け継がれてきた文化を未来へつなげるため、新たな価値を創造します。
令和3年「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業」に採択された京都市主催’共創’文化が繋ぐ伝統産業プロジェクトにおいて、映像制作をてがけるKYOZON、文化体験のコーディネートを行う京都春秋、Kiwakotoが協力し、京文化の継承を担う「人」に焦点を当てたインタビュー撮影を行いました。
100年先を共に創る つくり手と使い手
長い歴史をかけて醸成されてきた京文化。芸能、茶道、食など文化的活動にまつわる道具を手掛けてきた伝統工芸の職人と、時代に添って変化をしながら繋いできた道具の使い手たち。
作り手と使い手、双方の切磋琢磨によってこれまで形づくられてきた文化。
現在を生きる作り手・使い手の取り組みが、100年先を共に創ります。
|能楽編
お話をしてくださった方々
使い手
金剛流宗家 家元 金剛 永謹さん
つくり手
能面師 大月 光勲さん
佐々木能衣装 代表取締役社長 佐々木 洋次さん
概要
奈良時代、中国大陸からアクロバットやマジック、人形劇など多種多様な芸能を含んだ「散楽(さんがく)」が渡来します。平安京の都市文化において、散楽の中でも特に、観客の笑いを誘う滑稽な寸劇が人々の人気を集め、宗教行事の余興として受け継がれていきます。日本文化の神髄と言われるほどに発展した「能楽」。その転機となるのは、芸能を好んだ、室町幕府の3代将軍・足利義満です。観阿弥と世阿弥の猿楽を見物した足利義満は、この芸をたいへん気に入り、彼らを手厚く保護します。民衆芸能が、貴族のたしなみとして昇華するきっかけとなりました。彼らの鑑賞に応えられるように古典文学などの高い教養を身に付けた世阿弥は、優美で上品な芸風を猿楽に取り入れます。そして、美しい歌舞を中心とした、劇形式の芸能である能を作り上げていきました。
貴族のために創り上げられた歴史を背負う能楽は、小道具・衣装など全てが本物志向です。現代のつくり手は、100年前・200年前の道具を観察し、100年後に評価される道具を創り出しています。
能楽は無駄をそぎ落とされた、省略の演劇とも言われます。
「何もないので、人間の悲しみや辛さ、その中にある僅かな輝きを感じ取ることができる」パフォーマンス。忙しい現代において、しきりに求められるマインドフルネスを体現したものにも思えます。
金剛流宗家 家元 金剛 永謹さんは「能楽だけではなく、芸術は、自身が一生懸命感じようとすることが大切では」と仰います。誰かに見方を教わるものではなく、五感を使って全身で感じ、自身で「本質」をとらえることが芸術の醍醐味と。
「人間にとって文化は、必要不可欠なもの。つくろうとしてつくれるものではなく、人間の本質として根底に流れていて、それを幾代にも渡り積み重ねてきているものです。(文化を繋ぐためには)それをやっていく人が途絶えないことが大事でしょうし、見る人が無くなっても途絶えるんだと思いますよね」
伝統文化も、時代の影響を得てゆっくりと変わっていきます。
関わる人が、その根底にある軸…美意識だったり、こだわりだったり…を大切にし、変化を恐れず、時代に合わせて進化し続けることで、古いものではなく、今必要なものとして輝き続けると信じて。