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VOICE OF CRAFTSMANSHIP

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クラフツマンシップ

コトを成すために、和(ワ)をもってキワコトを生み出す。きわこと(際殊)は、古語で『格別であるさま』という意味を持ちます。Kiwakotoは、代々受け継がれてきた文化を未来へつなげるため、新たな価値を創造します。

100年先を共に創る つくり手と使い手ー花街編

令和3年「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業」に採択された京都市主催’共創’文化が繋ぐ伝統産業プロジェクトにおいて、映像制作をてがけるKYOZON、文化体験のコーディネートを行う京都春秋、Kiwakotoが協力し、京文化の継承を担う「人」に焦点を当てたインタビュー撮影を行いました。  

カフェでの読書

長い歴史をかけて醸成されてきた京文化。芸能、茶道、食など文化的活動にまつわる道具を手掛けてきた伝統工芸の職人と、時代に添って変化をしながら繋いできた道具の使い手たち。  
  

作り手と使い手、双方の切磋琢磨によってこれまで形づくられてきた文化。
現在を生きる作り手・使い手の取り組みが、100年先を共に創ります。  
  

|花街編
お話をしてくださった方々  

使い手
宮川町 花傳 女将 武田 伊久子さん
つくり手
京ごふく おか善 会長 岡本 晃さん
京友禅 應壽 友禅師 佐伯 昭彦さん
京扇子 大西常商店 若女将 大西 里枝さん
金彩扇子作家 米原 康人さん  
  

概要
1600年代後半、戦国時代が終わり、世が平和になってきたころ、「花街遊び」が栄えていくようになりました。舞妓さんの衣装は、江戸時代の末期、約200年前の京都の商家のお嬢様の格好そのままに伝えていると言われています。
着物一つとっても、白塗りという真っ白な顔に合うような色合いや、幼く見えるように柄を大振りにすること、形はお引摺りといって裾を長くするなど、普通の着物とは全く異なる代物です。
  

  

舞を舞う際に小道具として用いる扇子は、回転させやすいように要に重みがあり、少しでも長く使用できるように扇面を骨に糸で縫いつけるなどの工夫を凝らしています。
  

ものをつくる職人、舞妓がいるだけでは文化は残りません。
  

  

花傳女将 武田 伊久子さん曰く「文化というものは自然にできるものではなく、人あってこそ出来て、繋げていけるものだと思います。つなぐ人が重要です、人材を作ることというのが一番大事な私たちの仕事となっていると思います。それとともにニーズあってこその文化ですので、無くしてはいけない古い文化というものをお客様の方に積極的にご提案をして、ご理解いただいて、いいな、欲しいなと思っていただく、そこへのアプローチっというものが一番大事なことだと思います」
  

  

使い手の思いを汲んで、職人と共にものづくりを行う京ごふく おか善会長 岡本 晃さんは自身のことを『オーケストラの指揮者』に喩えます。友禅染めと言っても、図案家、下絵、染め、整理と多くの下職さんが関わって一つの衣装が出来上がる、そのすべての工程に目を配り、狙い通りのものができているか細かく確認を怠らない。そして毎年のように、『この工程の職人』がいなくなる危機に直面し、時には職人を一から育てていらっしゃいます。「職人さんの収入をもっと上げていかないと職人になる人がいなくなる。それを実現しようと思うと、前にだんだん展開して、販売する値段が上がっていくということになるので、難しさを感じています」
  

  
  

  

伝統工芸によるものづくりは、その細かな技法も然り、美意識をものに宿すために存在するものづくりではないか。
お稽古の日々を共に乗り越えてきた扇子に『自身の魂』を重ね、帯に挿して心の拠り所にする―
細部にこだわった逸品は、使い手に愛され、共に日々を送り、次の世代へ受け継がれていきます。

  

  

扇子 大西常商店 | Kyo-Sensu Ohnishi Tsune Shoten
若女将 | Young Landlady
大西 里枝 | Onishi Rie
  

  

扇子って、中国から渡ってきたものだと思われがちなんですけど、実は日本で生まれた発明品でして、用途としては皆さんが思っているあおぐというものではなくて、ものを書き付けるための筆記用具として発展していきました。奈良時代に生まれて、そこから平安時代になるとともに木片から紙の扇子になって、今はほとんど同じ形を保っています。平安時代になると、人に気持ちを伝えるための道具だったりとか、自分のいつも焚いている香を焚きしめて相手に渡すことで自分の気持ちも渡すみたいな、そういう使われ方をしました。物事だったり、自分の想い、自分の表現したいことを伝えるためのツールだったというところでしょうかね。
  

  

舞を舞うときに、扇子というのが、いろいろ小道具としてで使われます。大きさもそうですけれども要という閉じてあるところに鉛が入っていて、ある程度重りになっているのですね。それなので扇子を飛ばしたときに、ちゃんとその位置に戻ってくるとか、そういうふうに使い勝手の良いようにできています。私たちは大概ここに何か1本挿していますけれども、それはきっとそこにお守り的な意味があるんやと思います。自分の魂というものがそこに宿っていて入れておくと安心感がある。
  

  

例えば、お軸を拝見するときに1本扇子を置いて手をついて、また見るとそういうふうな使われ方をすることが多いです。なぜ1本置くのかというと、そこに扇子を1本置くことで、相手との境界線を作るという意味があります。その境界線を境に自分が少しへりくだった状態で軸をみていたら軸が少し上のものになるという、日本人の精神性じゃないですけれども、そういった要素があるのかなというふうに思っています。
  

  

金彩扇子作家 | Sensu Artist
米原 康人| Yonehara Yasuhito
  

  

受け入れる文化というか、こうなったから一点物なのかとか、手でやったから1個1個に差が出ているとか、そういうところに多少良さを見てもらえるような、そういうとこもあるのかなと思います。
  

  

何を伝えているかっていうのが大事なのじゃないかと思うんですけど、例えば芸事とか仏さんのこととかお茶とかにも関わらしてもらって、そういうものが伝えている精神性みたいなこととか、美徳みたいなものとか、そういうのを今はやっぱり全然知られてないというか、生きていて感じることが少ないような要素のものを、今の人に伝わる形で、伝えていくっていうのが役割なんじゃないかなと思っています。
  

一番大事なのは技術ですよね。技術は向上しないと伝統文化といえないです。技術者ですよね、一番もとのそういう人たちが京都を望む伝統工芸を支えていると思うんですよね。我々はそれを援助するだけで、そういう技術者がいるから、我々は伝統工芸品を販売させていただくということになっています。
  

京都のものづくりが、すべて京都で完結している場合って、すごく少ないと思うんですよね。自分たちでは全部できないけれども、京都に素材がやってくることで、私たちが紙や竹に付加価値がつけられるといったところで、目利きをして、その素材をより良いものに仕立てるみたいなところが作り手側からみる京文化なのかなと思いますね。
  

伝統文化をやっているものからしたら、あまり文化って意識しない方がいいのかなと。文化はこうだと思ってやっていると、どうしても固定的になるので、自分たちがやっていたのが、また京都の文化になればいいかなと思っています。
  

文化というものは自然にできるものではなくて、人あってこそ出来て、繋げていけるものだと思います。まず、そのつなぐ人ですね、人材を作ることというのが一番大事な私たちの仕事となっていると思います。それとともにニーズあってこその文化ですので、無くしてはいけない古い文化というものをお客様の方に積極的にご提案をして、ご理解いただいて、いいな、欲しいなと思っていただく、そこへのアプローチっというものが一番大事なことだと思います。舞妓さんだけがいても、残っていくものではありませんし、お客様あってのことだと思いますし、それはもう着物に関わらず、ほかの何事に対してもそうだと思います。積極的なアプローチ、良いものをご提案して良いと感じていただく、そこまでのステップというのが今足りない部分であって、もっと頑張っていかないといけないことだと思います。
  

  

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