【2023年版】お洒落な器が見つかるオンラインストア7選

お洒落な器が見つかるオンラインストア7選

お洒落な食器は、盛り付けるだけで気分が高揚したり、食事の準備が楽しくなるので、是非揃えたいもの。また、ギフトとしても重宝します。

オンラインストアではじっくりと商品を選ぶことができ、たくさん買っても配送してもらえるので重くないため、おすすめです。様々ないいものを見て、実際に手掛けてきたKiwakotoスタッフが厳選した、ユニークなこだわりのあるオンラインストアをご紹介いたします。ご自身のセンスに合うショップが見つかりますように。

   
   

手前味噌ですが、Kiwakotoのテーブルウェアに特化したオンラインサイト

Kiwakotoは日本の伝統工芸や文化を次世代に繋ぎたい!という思いから生まれたブランドです。思いの強さのあまり、ブランドサイトではメッセージが多くなってしまい、ある種、とっつきにくい印象も。テーブルウェアでは、「よりカジュアルに多くの方に素敵なものを知ってもらいたい」と考え、お花がクルクルと回る遊び心のあるホームページにしました。「かわいいけど…何屋さん?」と言われることも多いですが。

もちろん、ものづくりへの妥協は一切なしです!

KIWAKOTOトップページ 

  

京都は「都」文化の影響が色濃く残っています。その一つに、なんでも華奢に、繊細につくること。京懐石の細かな包丁飾りにはじまり、桶の縁も薄く仕上げる徹底ぶり。都の上品さを演出しています。KIWAKOTOの器は、この京都の美意識を取り入れ、薄く仕上げることにこだわり、一枚ずつ、職人が削っていきます。

  

竹箸は、箸先1㎜にこだわりました。加工をする箸の職人泣かせですが、これほど細いと唇に当たる箸の存在がほぼなくなり、食材の味がダイレクトに口の中に広がります。しかも、竹はよくしなるので、見た目よりも相当に丈夫です。

大人の焼き物

その名の通り「大人が惚れる」和食器を丁寧にセレクトしているショップです。作家や職人の作品を身近に、多くの器との出会いを届けたいという思いで店長がこだわって選んだ約2,000点が並びます。人気の作家・窯元の作品をピックアップして紹介する「Web個展」が定期的に開催されています。
  
おとなのやきもの  

大人の焼き物オンラインストアより引用

 
  

こだわりの店長がテーマアップする、季節の特集に興味をそそられます。例えば、秋には「新米を楽しむ」お茶碗特集など、なるほど食材の旬に合わせて器を新調するのも、生活を豊かにします。ご飯茶碗って毎日使うのに、案外、適当なものをつかってしまっているような…日々の雑器に目を向けるいい機会になりますね。

 
  

おとなのやきもの  

大人の焼き物オンラインストアより引用

 

FOURGRACE TABLEWARE

かわいい!華やかな器がたくさんあつまるショップです。Instagramの盛り付け写真を眺めているだけで幸せな気分になります。大人な雰囲気の絵付けの器や、お花の形の器など、アクセサリーのように集めたくなってしまうアイテムたちが。特に、季節に合わせた箸置きがかわいく、プチギフトとしてもおすすめです。  
  

foregrace  

FOURGRACE TABLEWAREオンラインストアより引用

 
   

ついつい集めたくなってしまう「小さなもの」たち。FOURGRACE TABLEWAREのお箸置きは、形と絵付けが秀逸で、手のひらのアートです。お正月らしい鶴、亀、羽子板といった絵付けは、野暮ったくなりがちですが、ゴールドベースの絵付けがスタイリッシュな仕上がりになっています。  

FOURGRACE TABLEWAREオンラインストアより引用

 
   

一方、うちわ型の箸置きには、金魚が描かれ、見た瞬間に笑顔がこぼれてしまいます。

FOURGRACE TABLEWAREオンラインストアより引用

 
  
  

うつわ屋まほろ

「まほろ」という不思議な店名。日本に古くからある言葉『まほろば=心地よいところ、澄みやすい場所』の意から付けられています。セレクトされている食器の多くは、つくられた土地の景色を思い起こさせてくれるような素朴さと、生活の中での息遣いを感じます。東急東横線 妙蓮寺駅にリアルショップも構えていらっしゃいますので、「ただいま~」と訪れてみたい場所です。  

まほろ 

まほろオンラインストアより引用

 
  

  

陶器だけではなく、ガラス作家のシンプルな作品や漆の技法の一つ、一閑張りの器まで、通好みのセレクションです。 
  
 

まほろオンラインストアより引用

 

香川で活動されている奥泰我さんの作品。ガラス自体の透明度が高く、緊張感のあるフォルムが魅力的です。個人の作家さんのため、おそらく、沢山はつくれないため、他のサイトでは「SOULD OUT」が多いですがまほろさんでは購入できます。商品ページの写真も手に持った際の様々なアングルで撮影されていて、作品の美しさがリアルに伝わります。

  

TIME & STYLE

スタイリッシュなサイトから、海外のブランド?と思いますが、実は北海道で家具製作を行う会社が生活雑貨を独自デザインで開発しています。アイテム数は多くはないですが、どれもシンプルで長く使いたくなるようなものばかり。気に入ってリピートしようと思ったら、廃版になっていてがっかりした、という経験はないですか。こちらの商品は割とロングテールなので安心です。

timeandstyle 

TIME & STYLEオンラインストアより引用

 
  

とてもクラシックな形ですが、意外と売っていない蓋付の鉢。登り窯で焼成された鉢は、釉薬のむらが美しく、筆者も一目惚れして購入しました。梅干しや煮干しを保管しています。  

TIME & STYLEオンラインストアより引用

 
 

スタッキングできるグラスもおすすめです。型吹き硝子の技法でつくられた柔らかい口当たりが魅力です。ガラスが柔らかい?と理解できないかもしれませんが、なかなか割れない安いグラスとこちらを比較していただくと「柔らかい」の意味が伝わるかと思います。  

TIME & STYLEオンラインストアより引用

 
  

サラグレース

青山、自由が丘、神戸にリアルショップを設けているお店のオンラインストア。フレンチスタイルにこだわり、白を基調としたハイセンスな器が並びます。ヨーロッパの老舗や日本ではあまり扱っていないブランドの食器が多数あり、オンライン限定などもあります。素朴な洋食器、言い換えれば、フランスのマダムが日常に使っている上質な食器。フランススタイルを学べます。  

サラグレース 

Sarah Graceオンラインストアより引用

 
  

オンラインストア限定シリーズの女性彫刻家によってデザインされたレリーフが印象的な白い器のシリーズです。中でも、蓋付きバターケースは、アンティークのような雰囲気もあり、可愛らしくもあり、バターに限定せずチョコレートやチーズの保管用にも活躍しそうです。
 

サラグレース  

Sarah Graceオンラインストアより引用

 
  

うつわマルシェ

老舗の器専門商社が手掛けるオンラインストア。海外の有名ブランドのアイテムから、日本全国の窯元の手掛けたもの、旬のものなど幅広く取り揃えています。全国の陶器市を旅しているような楽しさがあります。シーズン毎に陶器市を開催していて、気になっていた器を賢くお買い物できるチャンス!  

うつわマルシェ

うつわマルシェオンラインストアより引用

  
  

いかがでしたでしょうか。
リアルもオンラインも、ショップは各々運営者の個性や思いに色濃く影響します。自分の好みや、ギフトであれば贈る方のセンスに合わせたショップを選んで、じっくり商品を探してみると意外な出会いがあるかもしれません。
  

KIWAKOTOのテーブルウエア
  
  
  

ラグジュアリーな日帰りドライブ旅行 Vol.1

時代を先駆けた町 近江商人発祥の地  「近江八幡」

文・写真:小原誉子

小原誉子
「京都観光おもてなし大使」&旅ライター
御茶ノ水女子大学卒業。(株)サンリオ販売促進部、ラジオオーストラリア放送記者、(株)テレビマンユニオン取材プロデューサーを経て、集英社、講談社、世界文化社などのライターに。現在は特に京都など、日本の文化・観光情報を人気ブログ「ネコのミモロのJAPAN TRAVEL」で伝えている。京都在住。

京都の町中から、車で1時間。琵琶湖の東に位置する古い商家の佇まいを今に残す近江八幡は、北側を流れる「八幡堀」を中心に天正時代に楽市楽座で栄えた趣ある城下町だ。町を東西に横断する堀沿いや格子状に整えられた通りには、白壁の蔵や瓦葺きの黒壁の商家が軒を連ね、まるで江戸時代にタイムトリップしている心地になる。そんな町を一望する八幡山を居城としたのは、豊臣秀吉の甥 秀次である。歴史ドラマでは、関白になった後、秀頼の誕生で、その地位を奪われ、自暴自棄になり、酒に溺れ、狂暴化。さらに秀吉への謀反の罪をきせられ、切腹。その家族は、三条河原で無残にも処刑された、悲劇の武将という姿で描かれがちだ。しかし、近江八幡を訪れ、住民と話したり、その町づくりを見る限り、そのイメージとは全く異なる、非常に聡明で、また新たなものを積極的に取り入れ、民の暮らしを思う頼もしい人物だったことがわかる。

近江八幡の八幡堀

秀次が近江八幡の町づくりを始めたのは、天正13年(1585年)ごろ、なんと17歳の時だったというから、その才能に驚く。秀吉の指示があったとも言われるが、琵琶湖周辺の物流拠点として、往来する船を寄港させるための全長6キロに及ぶ「八幡堀」を中心にした町づくりが行われる。さらにかつて織田信長が安土城下で始めた、税を免除する「楽市楽座」を導入したことで、城下は大いに活気づいた。まさに「近江八幡」は、さまざまな物と人、情報が各地から集まる、その時代の最先端の町であったろう。秀次亡き後、江戸時代には、大阪と江戸を結ぶ交易の要所として発展し、豪商たちの土蔵や屋敷が建ち並ぶ、現在の町の形が出来上がった。そこには、おそらく当時の最新の物がいろいろ取引されただろうし、また各地の貴重な情報なども集まったに違いない。

近江八幡とメルセデスベンツ

若年ながら、家臣を束ね、実現した新しい町づくり。やはり秀次の優れた手腕と才能に興味惹かれる。その5年後、関白に任じられ、京都に秀吉が築いた聚楽第を、切腹させられる年まで住まいとした。そう考えると、秀次にとって「近江八幡」での日々は、おそらく彼の28年の短い生涯の中で、最も輝かしい時ではなかっただろうか。歴史の表舞台から消された秀次が、今、その優れた才能の軌跡を残しているのは、おそらくここだけかもしれない。
  
また、秀次の理想の町づくりを形にした「近江八幡」は、全国各地に行商に出向いた「近江商人」発祥の地でもある。徹底した合理化と斬新な経営方針を家訓にした「近江商人」の流れをくむ企業は、トヨタ自動車、ヤンマー、住友、丸紅、ワコール、西川産業など、名をあげたらキリがないほど多方面におよび、現在の日本の経済を支えている。もしかしたら、秀次という人物がいなければ、日本の今は、違っていたかも…と、勝手に想像が膨らむ。

近江八幡のウィリアム・メレル・ヴォーリズ建築

ところで、もう一つ、「近江八幡」というその時代の最先端のものに敏感で、新しいものを積極的に取り入れる住民の気風を物語るのが、明治時代から盛んに建てられた西洋建築だ。1905年に、この地に最初、高校の英語教師としてアメリカから来日した建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した、それまでの日本家屋のスタイルとは異なる、機能性を備えた西洋建築で、江戸の風情を留める町中に、現在24棟が点在している。京都などに設計事務所を構えたヴォーリズは、1906年から18年間で、日本各地に住宅164棟、学校や病院などの公共施設230棟あまり、さらに銀行や百貨店などの商業施設24棟を設計したと言われ、彼が近代の日本の建築界に与えた影響は、多大なものがある。夫人の一柳満喜子と共に「近江八幡」に暮らし、太平洋戦争が迫る1941年に日本に帰化した。1958年には病床のなか「近江八幡市名誉市民第1号」となったヴォーリズ。彼が日本国籍を取得するほど、日本を愛したのは、もちろん夫人の存在が第一だろうが、外国人である彼を受け入れ、尊敬した「近江八幡」の人々の存在も大きかったに違いない。おそらく彼が設計した建物が町に現れた時、住民は、さぞや驚き、好奇の目を向けたに違いない。しかし、今となっては、江戸の風情と近代日本が、混在する独特の趣を漂わせ、この町の魅力となっている。

クラブハリエ日牟禮カフェ

今も一般住宅として利用され、一般公開がされていない多くのヴォーリズの建物の中で、その魅力を存分に楽しめるのが、洋菓子の「クラブハリエ日牟禮カフェ」だ。かつて大阪朝日新聞社で活躍した忠田兵蔵氏の住まいだった、スパニッシュスタイルの外観をもつ和洋折衷式住宅で、縁あって和菓子の「たねや」の山本徳治会長が預かり、当時の趣そのままに補修し、現在は、その4部屋が貸し切りの特別室になっている。前日の予約で、ひとり500円で、「クラブハリエ」のスイーツが味わえる。アンティーク家具が設えられた部屋で、過ごすひとときは、なんとも心地よい。

クラブハリエ日牟禮カフェ

江戸時代は、「近江八幡」で材木商を生業にしていたという山本家。明治5年、七代目当主山本久吉が、京都で修業を積み、現在の「たねや」の礎となる和菓子店を創業した。商いの才に優れた「近江商人」の血筋からか、代々の当主は、その時代にあった製品づくりや経営を行い、全国の有名百貨店への出店や東京など都市部での直営店展開と事業は拡大し、関西では知らぬ人がいない滋賀県を代表する和菓子店のひとつだ。そんな和菓子店に1951年、洋菓子部門ができた。それを勧めたのは、ヴォーリズだったとか。バーム焼成機1号機を導入し、バームクーヘンブームの火付け役ともなった。
  
「近江商人」の家訓にある人材を育て、大切にするという企業姿勢は、創業以来変わらず、ここで腕を磨いたパティシエは、世界的な洋菓子コンクールでさまざまな部門で受賞している。
  
現在、国の重要伝統的建造物群保存地区になっている歴史の町「近江八幡」。そこで暮らす人々は、移りゆく時代に、常にその時代に合ったものを探し出す鋭い感覚を持っていたのかもしれないと思うと共に、この町を拠点に、全国さらに世界を舞台に活躍の場を求めた人の気概をも感じる。その礎を築いたのは、やはり若き城主、秀次であろう。そろそろ秀次への歴史的評価が、変わってもいいのではないかと、この町を訪れるたびに思ってしまう。「近江八幡」の魅力は、今後さらに注目されるに違いない。緑が茂る「八幡堀」の美しさは、夏の日帰り旅にふさわしい場所である。

近江八幡の八幡堀

  

*「近江八幡」交通所要時間:最短コース:京都南インターから、名神高速道路竜王インターを経て、約1時間。のんびりコース:大津から琵琶湖東側の湖周道路を経て、約1時間半。
*「八幡堀めぐり」所要時間:約35分 ご予約・お問い合わせ☎0748-33-5020 料金1000円
*「クラブハリエ日牟禮カフェ」滋賀県近江八幡市宮内町日牟禮ヴィレッジ ☎0748-33-3333 営業時間 9:00から17:00LO 無休 特別室の予約は☎0748-33-9995
http://clubharie.jp/shop/himure/

古都のライフスタイル Vol.5

新年を彩る大切な人への贈り物、こだわりは時代を超える

文:山本淳子 イラスト:黒岩多貴子

山本淳子
平安朝文学研究者 京都学園大学人間文化学部教授
1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。京都大学文学部卒業。石川県立金沢辰巳丘高校教諭などを経て、99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号取得(人間・環境学)。現在、京都学園大学人間文化学部歴史民俗・日本語日本文化学科教授。2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。

源氏物語の衣配り

『源氏物語』で正月を描く「初音」の巻。「年たち返る朝(あした)の空の気色(けしき)、なごりなく曇らぬうららけさ」と、元旦の快晴の風景から書き起こされる冒頭の一節は、いかにもめでたい。室町時代の貴族・三条西実隆は、毎年元日にはこの巻を読んで初春を言祝いだと、自らの日記に書き記している。
  

ところで平安貴族は、正月を前に晴れ着を新調した。「初音」の巻での正月を迎えるにあたって、光源氏も装束を用意している。だが彼の場合は、それがただごとではない。関わっている女性たち皆の為に準備するからだ。新築の六条院なる約4500坪の豪邸に住む妻や養女、別宅に住むもと恋人など、それぞれのために彼は装束を選んだ。「衣配り(きぬくばり)」という『源氏物語』でも有名な場面である。
 

光源氏のもとには、職人たちの技を凝らした織物が集まっている。「贈るならそれぞれの女性に似合うものを」と妻の紫の上に勧められて、先ずはその妻のために、彼は最も女性らしく華やかな色合いのものを選んだ。平安の女性装束では、重ね着によって襟もとや袖口に美しい色のコーディネートが現れ、その取り合わせには名前までついている。紫の上には、「紅梅」と名付けられた赤系のグラデーションの数枚。さらにその上に、ぶどう色の布地にこんもりと文様を織り浮かせた一枚を羽織る、豪華でつややかなセットである。いっぽう、七歳になる娘の母である明石の御方には、濃い紫の数枚を重ねた上に、白地に梅の折枝や飛び違う蝶、鳥などの文様を織り出した一枚を羽織るセット。色合いといい柄といい、高貴な雰囲気のものである。都から離れた地で育ったとはいえ気高い品格を漂わせた彼女にはぴったりで、紫式部のセンスが光っている。
  

これらの装束は、その染色の方法が、平安時代の法典である『延喜式』に載っている。インド・マレー半島原産の高木「蘇芳(すおう)」や、希少な紫草などを使うその手法は、京都の吉岡幸雄氏により現代に再現され、世界的な評価を受けている。

  

まさに「きわこと」は時代を超えるのである。
  

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古都のライフスタイル Vol.4

平安のことば『源氏物語』は「もののあはれ」、『枕草子』は「いとをかし」

文:山本淳子 イラスト:黒岩多貴子

山本淳子
平安朝文学研究者 京都学園大学人間文化学部教授
1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。京都大学文学部卒業。石川県立金沢辰巳丘高校教諭などを経て、99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号取得(人間・環境学)。現在、京都学園大学人間文化学部歴史民俗・日本語日本文化学科教授。2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。

カフェでの読書

平安時代を代表する言葉、「あはれ」と「をかし」。世にしばしば、『源氏物語』は「もののあはれ」で『枕草子』は「いとをかし」だという、あれである。この二つは、現代人でも嗜みとして知っているのが当然の、基本語と言ってよい。とはいえ、高校時代の教科書ではどちらも「風情がある」と訳されていただろう。高校生にとっては「風情」など最も遠い世界のことで、美しいが退屈なことばに思えたかもしれない。
  

だが、その「あはれ」と「をかし」が一瞬で、しかも二つ共に明快にわかる方法がある。それは、「あはれ」は「あ」で、「をかし」は「お」だということだ。
  

「あはれ」は、もともと感動詞出身の言葉である。何かを見聞きした時に、「ああ」とか「ああっ」とか、つい声を発してしまうことがあるだろう。それが「あはれ」だ。例えば、沈みゆく真っ赤な太陽を見た時。或いは逆に、富士山頂でご来光を拝む時。私たちは自然に、我を忘れてそれを見ている。その時、声を発する筋肉は緩み、丸く空いた口からはため息のような息が発せられるのみだ。その音が、「あ」であり「は」であり「れ」なのである。
  

「あはれ」は現代、「可哀そう」を意味する言葉である。この意味も、古くからあった。気の毒な出来事や人を目の当たりにして、他人ごとではなく心から同情の思いに駆られ、「ああ」と声を漏らすしかない。それが「可哀そう」の「あはれ」である。だから、本来「あはれ」は訳の仕様がない。「ああ」とか「しみじみ」とかで、言葉にならない、それが「あはれ」なのだ。これを知った今、あなたはもう平安びとと心を同じくしている。
  

では、「をかし」はどうか?笑える「おかしい!」も、首をひねる「おかしい…」も、現代語として生きている。少し引いて「おっ」と批評するのがこれらだ。これが「おお」となると、風流の意味の「をかし」になる。『枕草子』は、「春はあけぼの」で知られる初段にこれを使った。四季の中の「夏は、夜」のくだりである。「蛍の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りてゆくも、をかし」。群舞する蛍は見る者の心を奪う。だが一つ二つの光がかすかに点滅しながらゆくのは、また別の味わいがある。続けて『枕草子』は「雨など降るも、をかし」と言っていて、これなどまさに「乙なもの」の訳がぴったりだ。「いとをかし」と言う時、言う側は余裕をもって批評しており、「上から目線」なのだ。    
  

『源氏物語』が「もののあはれ」で『枕草子』が「いとをかし」だということも、これで説明できる。『源氏物語』は人の世の愛憎や哀歓を描き、登場人物たちは「ああ」と嘆声や吐息を漏らし続ける。読者が発するのも「ああ」という感動の声だ。しかし『枕草子』は、ユーモアやウイットに富んでいる。「おや、なかなかいいね」「おっ、これもいいね」。私たちはそんな声を発しながら、この個性的で新鮮なエッセイを読むことになる。  

「あはれ」は「あ」で、「をかし」は「お」。思えば、現代を生きる私たちの発声器官、つまり体が、平安の言葉を覚えているということかもしれない。  

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古都のライフスタイル Vol.3

平安の職人たち

文:山本淳子 イラスト:黒岩多貴子

山本淳子
平安朝文学研究者 京都学園大学人間文化学部教授
1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。京都大学文学部卒業。石川県立金沢辰巳丘高校教諭などを経て、99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号取得(人間・環境学)。現在、京都学園大学人間文化学部歴史民俗・日本語日本文化学科教授。2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。

かぐや姫と求婚者

花山天皇という人物がいる。十世紀の末に、若くして僅か二年間だけ帝位にあった天皇だ。彼は政治向きではなかったが、発明やデザインの才能に長けていた。そして乗り物が好きだった。歴史物語『大鏡』が、彼の考案したスペシャルなガレージのことを記しとどめている。それは当時「車宿(くるまやどり)」と呼ばれた車庫の、床に斜度を付けるという工夫である。奥を高くし、出入り口は低くして、頑丈な観音開きの戸を付ける。中の牛車は、いつでもすぐに使えるように常時飾り付けておく。そうすれば急ぎの出発の際、さっと戸を開けるだけで、人が手も触れないのにからからと車が出てくるという仕組みだ。後は乗り込むのみ。現代の自動運転には程遠いが、牛車の発進時の効率性を狙った発想が面白い。何より、こうした実用的な創意工夫を天皇が思いつき実際に作ってしまったところが、モノづくりの日本らしいではないか。
  

「大和魂」という言葉がある。現代の辞書には「日本人固有の勇ましい心」などと記され、「サムライジャパン」を始め、スポーツの世界になじむ感のある言葉だ。だが平安時代、この言葉はむしろビジネスの現場の言葉だった。政治や法律からモノ作りまで、先進国・中国から得た知識を、日本でどう使うか。そうした現場での応用力が「大和魂」と呼ばれたのだ。 モノ作りといえば、貴族のゴージャスな生活を彩る品々もまさにそれである。職人たちは大陸伝来の技術を日本の風土に合わせて応用し、寝殿造りなど大規模建築から扇や帯、髪飾りなど細かな装飾品づくりにまで、腕を振るった。
  

 そんな職人たちが『竹取物語』に登場する。かぐや姫が、群がる求婚者たちに難題を出して結婚を断る場面だ。姫から蓬莱、つまり仙人の島に行って「玉の枝」を持って来るようにと言われた皇子は、一計を案じる。まずは船出した振りをしてこっそり戻り、超一流の職人たちと一緒に秘密の工房にこもる。そして千日をかけて、金銀白玉でできた見事な「玉の枝」を作らせたのだ。もちろん蓬莱産ではないので、本物とは言えない。だがその出来は、かぐや姫でも贋物と見抜けないほどの素晴らしさであった。しかしそれは結局、彼の作らせた贋物とばれてしまう。なぜか。かぐや姫宅に職人たちがやってきて工賃を請求したからだ。皇子は職人たちに工賃を払っていなかったのだ。真実を知ったかぐや姫は彼を振る。ケチな男はもてないという笑い話だ。
  

それにしても、職人たちの作った金と銀の枝はどんな輝きを放っていたのだろうか。白玉の実はどれだけ清らかだったろうか。もちろんファンタジーの話だが、京都国立博物館などに今も遺る平安時代の工芸品を見れば、その精緻さが想像される。高い技術に裏付けられた世界に一つだけの品。その魅力は深々として、今も昔も人を魅了して離さないものなのだ。    
  

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虜になる瞬間-香りのいろいろ vol.2-

心遣いの香り

文:田中三貴

田中三貴
アロマテラピスト・調香師として1998年から京都で活躍。香りで「ことば」を表現するという独自の方法を用いる。花柳界を中心に歌舞伎・芸能界などの方々に支持され、オリジナルのフレグランスを提供。

線香

追風用意―
古典にもたびたび出てくる香りを表す言葉である。「追風」とは「衣服に焚きしめられた薫香の匂いを伝える風」つまりは、通り過ぎた後に漂う匂いである。「用意」とは、配慮、心遣い、嗜み。人とすれ違ったときあとから風に乗って仄かな香りが漂うよう、あらかじめ衣服に香りを焚きしめておく、自分の去った後の香りにまで配慮をしておくという、細やかな心遣いである。

香りを焚きしめるのは衣類だけではなく、紙に香りを焚きしめることも貴族階級には重要な用意であった。というのも、平安時代の男女の付き合いはまず、恋文からはじまるからだ。したためられた文は、目当ての姫君のもとへ届くまでに、乳母によって封を開かれ品定めが行われた。紙の種類や、添える心葉(こころば・梅や藤などの折枝)の趣味、文字の筋、和歌の腕前、そして、紙に焚きしめられた薫物の香りなどから姫君にふさわしい男性であるかを厳しくチェックされる。貴族はめったに顔を見せない時代であるからこそ、焚きしめられた香りには品格や教養をあらわすという大切な役割があり、自分をアピールする最大の手段であった。

夜の闇に身を過ごしていた貴族人はこの漂い流れる薫物の香から通り過ぎゆく人の正体を嗅ぎあて、すれ違いざまの芳香に「ああ、あの方であったか…」と気づく。そして、その一瞬のために、前もって衣類に香りを焚きしめて用意をしている。また、文を交わす男女の間で行われていた思いを伝える慣習に過ぎないのかもしれないが、見えない相手の気持ちを想像し、季節の花を添えて、自分の香りを焚きしめる。その封を開いた瞬間にふわっと広がる香りによって心豊かになる人のために、前もって紙に香りを焚きしめて用意をしている。

これ見よがしに香りを漂わすのではなく、相手に気づかれないようにもてなしをする貴族人の香りの美学である。

香りの在り方とは、時には温かい人間味を感じさせる、時には凛とした気品によって人間関係に節度をもたらす、ただ単純に香りをふりまくのではなく、追風用意により、自分へも安らぎを与え、周囲の人の心を和ませ包み込む。

たとえ特別な香りを纏っていなくても人が去った後には、香りだけではなくさまざまな余韻が残る。その人となりをあらわすような、優しい笑顔や爽やかな態度、気遣いのことばなどの、心地よい追風である。残り香や移り香で見えない相手をもてなす、なんとも奥ゆかしく優雅な、日本人の心遣いを表す文化ではなかろうか。

追風用意は、香害が騒がれだした現代が大切にするべき香りの楽しみ方であり、周囲へのエチケットだと思う。車や特別な空間に焚きしめられた香りの中で心豊かに時を過ごしたのち、身に纏った香りとともに心の「追風用意」ができるよう日々を過ごしたいものである。
 

古都のライフスタイル Vol.2

セレブの車

文:山本淳子 イラスト:黒岩多貴子

山本淳子
平安朝文学研究者 京都学園大学人間文化学部教授
1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。京都大学文学部卒業。石川県立金沢辰巳丘高校教諭などを経て、99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号取得(人間・環境学)。現在、京都学園大学人間文化学部歴史民俗・日本語日本文化学科教授。2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。

牛車のカスタマイズ

平安貴族にとって乗り物と言えば、牛車である。馬は庶民でも乗るが、牛車は貴族ではないと持つことが許されない。それも、身分によって乗れる車種が決まっている。だから、牛車で出かけることはそのまま、セレブやその関係者であることを意味した。スピードは、人の歩く速度か、せいぜい小走り程度。牛を操る牛飼童が、牛や車体に乗るのではなく横を歩いてゆく仕組みになっていたからだ。四人乗りで、今の乗用車と同様に上座と下座があり、今とは逆に前の座席のほうが上座とされたという。京楽真帆子『牛車で行こう!』(吉川弘文館)が、豆知識満載で面白い。
  

さて、その牛車を、カスタマイズしようと思いついた人物がいる。『枕草子』の作者・清少納言だ。彼女は皇后の侍女なので、役所に牛車を用意させ、梅雨時の早朝、ホトトギスの声を聞くために同僚たちと出かけた。季節ならではのこの鳥の声を聞くことは、都人の風物詩だったのだ。行く先は賀茂の奥にある知人の別荘で、果たしてホトトギスはかまびすしく鳴き合い、清少納言たちは風流を満喫する。カスタマイズは、この帰途に牛車に乗ろうとして思いついたことだ。やはり季節ならではの卯の花が、辺りには見事に咲き誇っていた。それを折って、牛車の屋根にも簾にも挿せるだけ挿した。結果、牛車はまるで、卯の花の垣根を牛が牽いて行くかと見えるまでに。花を付けた牛車と言えば、現代でも京都の三大祭りの一つ、葵祭で見ることができる。行列の主役の一つである勅使の牛車で、屋根から藤の花房を垂らした華麗なものだ。だが清少納言の牛車は屋根どころか車体中が花。当然、この趣向は大うけにうけた。その度を越した弾けっぷりが良いと、笑いながら褒められたのだという。清少納言自身のご満悦は言うまでもない。
  

牛車と言えば、清少納言は走らせ方にもこだわりを抱いていて、『枕草子』には車格によって似合う速度が違うと記している。皇族や閣僚級貴族である公卿(くぎょう)用の「檳榔毛(びろうげ)」は、ゆっくり走らせるのが良く、急がせると見劣りがするという。確かに、最高級車はゆとりをもったスピードで走っていてこそ、細部に至るまでの輝きもちゃんと見て取れる。鑑賞に堪える車には、鑑賞できる速度で走ってほしいのだ。もちろんそこには、乗る人の心のゆとりや品格も感じ取れるというものである。一方でカジュアルな「網代車」は、軽快に走らせるのがよいという。牛車の気配がすっと通り過ぎたので、ふと目を挙げると、もう車はおらず、ただ走ってついてゆくお供の姿だけ。あれ、どなたの牛車だったのだろう。見るものにそんな気持ちをかきたてる、アクティブさが似合うというのだ。なるほど千年前から、車は乗って楽しむだけのものではない。見て楽しまれもするものだった。清少納言が自分の牛車に工夫を凝らし、見る人を喜ばせたのも、そんなライフスタイルによっている。季節を楽しむ。車を楽しむ。そして、自分らしさを楽しむ。王朝人はそのように暮らしを彩った。日常の中で、別格の贅沢「きわこと」を堪能したのだ。
  

 

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虜になる瞬間-香りのいろいろ vol.1-

香りを嗜む

文:田中三貴 写真提供:松栄堂 松寿文庫

田中三貴
アロマテラピスト・調香師として1998年から京都で活躍。香りで「ことば」を表現するという独自の方法を用いる。花柳界を中心に歌舞伎・芸能界などの方々に支持され、オリジナルのフレグランスを提供。

香炉

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香りというものが日常にありふれたあたりまえのものとして存在するいま、「香りを嗜む」という表現をすることはほとんどない。 現代に生きる私たちは1週間を普通に暮らすだけで、およそ2000種類もの香りを嗅いでいるといわれている。日本人は昔から季節の移り変わりを敏感に感じ、旬の食べ物や四季折々の草花の香りを好むというところから、香りを愛する国民性と思われがちだが、歴史的には海外から入ってくる強い香りの受容は避ける傾向にあり、ほのかで爽やかな芳香を多用する。多くの香りに出会うわりには嗜むような個性豊かで豊満な香りとの触れ合いには縁遠く、どちらかといえばニオイを消すための香りに出会う毎日なのだ。
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10万人ともいわれる民がいた平安の都、貴族階級はそのうち1千人ほどであった。10万もの様々な生活臭から自分たちの生活空間を隔絶するために、重要な役割を果たしたのが「かおり」であった。 平安貴族は主に空間と、身に着ける衣に香りをたきしめ、外界からの悪臭や自身の体臭を芳香でごまかすことで高貴な香りの世界を確立していったのだ。芳香剤や消臭スプレーを多用する現代の私たちにも通ずるような香りの活用ではあるが、ひとつだけはっきりと異なる側面がある。それは、彼らにとって自分の放つ「かおり」が財力や教養、センスの良さを表す大切なツールでもあったということ。日が暮れると暗くなる宮中では放たれる「かおり」がその人を表すサインとなり、貴族は各々で独自に香料を調合してオリジナルの「かおり」を楽しんでいた。そんな背景もあり、 香料合わせの知識は彼らの教養のひとつして重要視され、優れたものは後世に引き継がれ洗練されたかおりとして現在も残されている。贅沢な「かおり」の世界はやがて各人のかおりの優劣を競う優雅な遊びを生みだし、高尚な趣味や上流階級の嗜みとして親しまれるようになったのだ。
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悠久の時を隔てた都に生きた貴族のように、洗練されたかおりを嗜むライフスタルを受け継ぐのも悪くない。香りが溢れ、「かおり」が特別な存在となったいまこそ、お洒落でラグジュアリーな遊びのひとつとしてあなただけの空間をお気に入りの「かおり」で カスタマイズしてはいかがだろうか。

 

古都のライフスタイル Vol.1

極上を超えた上質を求める精神

文:山本淳子 イラスト:黒岩多貴子

山本淳子
平安朝文学研究者 京都学園大学人間文化学部教授
1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。京都大学文学部卒業。石川県立金沢辰巳丘高校教諭などを経て、99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号取得(人間・環境学)。現在、京都学園大学人間文化学部歴史民俗・日本語日本文化学科教授。2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。

きわことが生み出される瞬間

 現代語でも、とことんまで突き詰めることを「極める」と言い、究極のあり方を「極み」と言う。平安の貴族たちも、栄華を極め、贅の極みを楽しんだ。だが彼らには、その「極み」を「異」にした、つまり極上をさらに突き抜けた世界が見えていた。それを指すのが「きわこと」である。極みを超えた上質さ。比べもののない別格であることを、彼らはこう呼んで褒め、また憧れたのである。

  

「きわこと」は『源氏物語』にも登場する。主人公光源氏が政界の頂点に立ち、娘を天皇家に嫁がせるという、この物語で最も幸福感に満ちた場面でのことだ。光源氏は娘に持たせる道具を整えるが、その中には冊子本など仮名書きの書物があった。もちろんすべて手書きである。印刷技術は平安時代にもあったが、現在の絵画と同様で、一点ものにこそ価値があったのだ。その時、彼が思い出すのが、かつて六条御息所が何気なく書いた文字の見事さである。「あれは『きわこと』、別格だった」と彼は言う。六条御息所は、光源氏の女君の一人として知られるが、もとは皇太子妃である。彼女は極上の生活を送る都でも有数の貴婦人であった。だがそれだけではなく、自らが別格の書をものする、教養人であった。それを光源氏に懐かしく思い出させるところに、『源氏物語』の美意識がある。

  

京都は平安の昔から、こうした価値観を受け継いできた。そして今も、「きわこと」はこの町に息づいている。ならば今、身のまわりに「きわこと」を置き、それと共に日常を送りたい。極みを超える精神性を、いつもさりげなく感じていたい。光源氏がそうしたように。

 

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